ブログタイトル 鳥屋野ファイターズ・ブログ

新潟市の少年・少女サッカーチーム「鳥屋野ファイターズ」のブログです。

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熱烈サポーター

 「勝~!!」「走れ~!!」「行け~!!」 何度この言葉を叫んだかしら・・・
 私がファイターズを知ったのは、勝が3年生の時でした。
 当時、5年生だった桑原君のお母さんと同じ職場で、顔を会わせるたびに、土・日はサッカーの練習や試合で忙しいという話を聞いたり、スポニチ杯の新聞を見せてもらったり、大変だと言いながらすごく楽しそうにしていました。きっとこの時、子供より私の方がファイターズに入団しようと決めたのかもしれません。
 入団してからは、子供に負けてなるものかと、私も会社のサッカー部に入ったり、ひそかにアルビのサッカークリニックに通ったり、審判講習に行ったりと子供にゲキを飛ばす分、自分もサッカーを知って何とか練習相手になろうと一生懸命だった事を思い出します。
 現6年生は、とってもおとなしくて練習や試合でも静かで大丈夫かな~チームプレー出来るの~と思うことしばしば・・・外野の私が大声出して、対戦相手の保護者から「うるせ~」って言われた事も。
 なかなか勝利に恵まれず、悔しい思いの中で少年少女大会では初予選リーグ突破!!決勝トーナメント上山戦0-1の惜敗・・・仕事中にもかかわらず涙がボロボロこぼれました。
 ライオンズ杯の決勝戦は我が子がGキーパーをしていたこともありドキドキ・ハラハラ 胃が痛いのなんのって、早く笛吹いてくれと最後は神頼み。優勝が決まった時の歓喜の涙は今も忘れません。(アルビが1点を守りきり、優勝とJ1昇格を決めた時と重ね合わせてしまったのは、私だけかしら)今思うとあんまり子供にあーだこーだと言い過ぎて、かえってプレッシャーを与えてしまったかなと反省しています。(そういえば、私がいない時にスーパーセーブしたという話を良く聞きました。)
 ファイターズでの3年間、勝も私も良い仲間に出会えて楽しく過ごす事ができました。倉田総監督はじめコーチ、スタッフ、保護者のみなさん本当にありがとうございました。
 監督・コーチ 口は悪いけど子供たち1人1人の良いとこ、悪いとこをよく見てくれて、良い所をたくさん引き出してくれました。頭が下がります。
 ファイターズの父たち 最初はシロウト軍団だったのに、今では立派なコーチです。(子供たちよりハマッてます。)
 ファイターズの母たち ファイターズの為なら家事も後まわしでどこへでも追いかけ、勝った負けたと涙を流す、最強サポーターです。
 勝は中学に入学してもサッカーを続けるようです。これからは練習も厳しくなるし、先輩、後輩関係も難しくなり壁にぶつかる時が来るでしょう。そんな時でも、仲間と乗り越えてほしいと思います。どんどんもまれてファイターズ1(いち)お子ちゃまから成長し、いつしか親なんてけむたいと思われる時が来てもやっぱり私は叫び続けたい。「勝~走れ~!!」  だって熱烈サポーターだもん。

 2007.02.27 鳥屋野ファイターズ TERU 28(6年生保護者 渋谷 勝の母)

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“後悔先に立たず”

 もう卒団?・・・気がつけばもう6年生。何してたっけ?というくらいあっという間の3年間でした。
希望に満ち溢れ入部した3年前の春。真新しいシューズとユニホームでボールを追いかける姿はとてもキラキラとして、眩しいほどでした。1年が経過し、ファイターズの部員としても慣れてきた2年前。5年生になってからは練習試合も増え、週末はサッカー一色でしたね。
 ほぼ毎週のように練習試合の連絡。今日は○○小学校。来週は○○グラウンドに朝8時集合!本来、朝が苦手な親子が早起きになったのは、俊介がサッカーを始めてからです。
 私事ですが新潟に生まれ育ちはやン十年。旧市内はおろか、市外なんて問題外。土地勘がなく、ナビ付の車にもかかわらず、迷う方向音痴なのに送迎?金曜日の夜は地図を見るところから始まり、何時間前に起きればいいのか逆算し、目覚ましをかけて就寝。そんな母を知ってか知らぬか、朝ギリギリまで寝ているのんきな息子。オイオイ!誰の試合なんだよ?まったく!車中では、「もっと早く集合場所に着きたい」だの、道を間違う私に「よく車に乗っていられるね」などと勝手なことを言う俊介と幾度となくケンカになり、「じゃあ今度から一人で現地までチャリでいきな!」などと大人げない事を言ったこともあったっけ。
(目的地に無事到着するまで、母は緊張して運転しているので疲労は倍)
 寺泊合宿、クロアチアピッチ、初めての優勝、バーベキュー大会、冬眠したこと、今ではとてもいい思い出です。
 試合に負ける事のほうが多かったファイターズ。今思えば叱咤ばかりで、もっと褒めて励ましてあげればよかったかな?
 弟(謙次郎)が小さいせいもあり、送迎をお願いし、私自身試合を観戦することができずに、帰宅後、俊介から「今日は点を入れたよ」なんて聞いた日には、無理をしてでも出かければ良かったと後悔したものです。 しかしながら、母が行けない時に限って点を入れる俊介って・・・?
 3年間の練習で技術的に上達したかは疑問ですが、チームプレイの大切さを学んだ3年間だったのではないかと思います。できれば、お笑い集団“鳥屋野ファイターズ”で、まだまだ指導していただきたいのが本音ですが・・・。ファイターズに入らなければ出会わなかったであろう人達。話す事もなかったであろう人達。この出会いに感謝です。親子共々、とても楽しく過ごせた3年間でした。
 これも倉田監督をはじめ、古俣代表、小山マネージャー、事務局の方々のお陰です。
 本当にお世話になりました。ありがとうございました。
 そしていつまでも、楽しい鳥屋野ファイターズでありますように・・・

 2007.02.23 鳥屋野ファイターズ 和田 麻子(6年生保護者 俊介の母)

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ファイターズでの3年間

 今となっては…
 4年生になる時ファイターズの入部案内を貰ってきました。
 正直わたしは、優太がサッカーをするとは全く思っていませんでした。運動するのが好きなことは気付いていましたが周りの雰囲気から、きっと野球部に入るのだろう…と思っていたのに意外な展開でした。しかも、サッカー部は当番やらなにやら親の出番が多く非常に大変だという話を噂で聞いていたので、できれば止めてほしい…というのが本心でした。
 入部説明を聞いて、「やっぱりやめたほうが(やめさせたほうが)良いかも」とずーと思っていました。でも優太の気持ちは変わらず結局入部するに至りました。
 入部してみて、『う~んやっぱり面倒くさーい!』『え~つ!?』と感じることは多々ありましたが、卒団の今となってみればあっという間の3年間でした。
 この3年で優太がフィールドに出られたのは…… ベンチを暖めている機会の方が多かったとわたしは記憶しています。(笑)小さな頃から決して『我先に!!』というタイプではない子でした(いまだにそうですが)。でも、決して泣き言も言わず愚痴もこぼさず3年間やってこれたのはファイターズの居心地がとてもよく、優太にピッタリとくる場所だったからなのではないかと母は感じています。そんな場所を見付けられた優太は幸せだったと思います。そして、かけがえのない仲間もたくさん作ることができた事も幸せの1つですね♡
 サッカーの技術はすごく上達した!とはいえなかったかもしれないけれど、体力面・精神面ではすごく成長できたと感じています。こうして考えてみれば、母の気が進まず入部したことに今となってみれば後悔ですね。今は感謝・感謝です♪これからこの3年で得たものを生かし更に成長していって欲しいものです。
 最後に倉田総監督をはじめコーチ陣、保護者さんファイターズを支えていた様々な方、本当にご苦労様でした。そして本当にありがとうございました。

 2007.02.19 鳥屋野ファイターズ 渡邉 久仁子(6年生保護者 優太の母)

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回 想 ~卒団によせて~

 少々太めで性格はかなりポジティブ。“パッ”と見「サッカー少年?」な風貌の我が家の長男。そんな息子がファイターズにお世話になって、はや3年。卒団の日を間近にひかえて今、私の中では嬉しさよりも淋しい思いの方が断然強く、卒業式ならぬ卒団式などというものがあろうものなら多分、涙してしまうでしょう。何せ、我が家のカレンダーは、ここ数年ファイターズで回っていたようなものでしたから・・・。
 サッカーのことなど何も知らず、知っている選手といえば三浦和良。アルビにそれほど興味があったわけでもなく、“ビッグスワンに行ってみたい!”という思いだけで自治会の招待券を手にJ2時代のアルビ戦を家族で観戦に行きました。それが入団のきっかけになったとは思いませんが、3年前、赤シャツの4年生はいつもカヤの外だったあの日から、月日が経つのは早いもので気がつけばあっという間にトップチームになっていました。
 そしてそんな3年間で今も私の脳裏に残るあの試合、この試合・・・

* 2004年 6月 ―亀田での練習試合―
 息子たちにとって初めての練習試合。陽射しの強い日で父、母にとっても初めての応援で、只々大声を張り上げることしかできませんでした。そんな中で聞こえてきた言葉は「あの子たち、サッカーやったことあるの?」思いっきり不安になりました・・・

* 2005年 10月 ―NBCカップ―
 息子たちにはもったいないくらいの素晴らしい十日町クロアチアピッチ。
 2日目の4位トーナメントでしたが、初めてイレブンで戦い、そしてつかんだ勝利だったような気がします。この試合は参加するにあたって色々と大変だったのですが“参加できてよかったぁ~”と心の底から思いました。

* 2006年 9月 ―小須戸ライオンズカップ―
 最初で最後の“優勝”になってしまいました。でも、もしかしたらこの優勝があったから胸を張って卒団できるのかもしれませんね。

*(番外編ということで) 2006年 9月 ―市選手権大会―
 息子に向けられたレッドカード。その日は親でも息子にかける言葉が見つからず、ただ時間が過ぎるのを待つだけでしたが、それも今では記憶に残る笑い話のようです。

 最後になりましたが倉田総監督はじめ、コーチ、スタッフの皆様、そして共に戦った保護者の皆様、お世話になりました。本当にありがとうございました。また、ほとんどの母たちが我が子と共に巣立っていく中で、残念ながら(?)私は残留となります(次男がいるもので・・・)。また、しばらくお世話になりますが宜しくお願いします。

・・・そして2009年春、上中のトップチームの一員となった○○君、△△君、野上君、□□君、・・・たちと“新校舎”の広いグランドで、 また一緒に汗を流し、笑いあえる再会の日を密かに楽しみにしています。 Good Luck!

 2007.02.15 鳥屋野ファイターズ 野上 礼子(6年生保護者 一城の母)

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貴重な三年間・・・・・。

 3年前子供からファイターズに入りたいと言われた時、何かスポーツをさせてあげたかった私は何の抵抗もなく“いいんじゃない”って許可しました。野球でもバスケでも子供がスポーツに熱中することは大賛成でしたから。あとは“父にまかせればいいや”というホント軽い気持ちでのスタートでした。
 4年生の頃は私自身右も左もわからず、言われたことをやっていたのか、どうだったのか覚えていないくらいあっという間の1年でした。
 5年生では試合や大会がにわかに増えていき毎週忙しい週末を過ごしているうちに、父に任せるどころではなく、ビデオカメラウーマンに変身しすっかりハマッテいました(笑)。でもこれは私の楽しみのひとつで、試合後親子でビデオを見て話に花を咲かせるコミュニケーションでもあったんです。ですから、夫婦二人で負け慣れてる子供に奮起してもらいたくてダメ出ししたり、悔しくて泣くほどに真剣にプレーしてもらいたくて叱咤激励をしました。かなり凹む様なことを父と2人で言い激する事もありました。親に言われて苦しい~っていう気持ちをエネルギーに変えてもらいたかったんですけど、どうやら我が子には逆効果だったみたいで・・・大反省です。
 5年も終わりの頃でしたか、6年生で付ける背番号を“監督に10番って言われた!”って普段は感情を表に出さない子が、よろこんで練習から飛んで帰って来たという日がありました。多分ビックリしたのと、ヤッターっていう二つの気持ちを身体一杯に感じていたのではないかと思います。父と子がその話で盛り上がっているのを見ているのは私にとって幸せの光景でした。普段は目立たない子なのに選んでもらえたとワクワクしたのを忘れる事はできません。
 それはきっと(大げさかも知れないけど)亮が4年生の参観で将来の夢を発表したとき、サッカーがうまくなったらアルビレックスの選手になって、親孝行したいって言っていたことに少し近づいた様な錯覚をして、夢が叶うといいなーとほのかに思った瞬間でもありました。
 その後、6年生で10番を背負った本人は期待される嬉しさと、出来ないジレンマに落ち込んだり、壁にぶつかる事もありましたが、周りの大人に声をかけてもらったり、仲間のさりげない言葉と存在に助けてもらったり、きっと子供なりに仲間の大切さを感じていたのではと思います。
 最後に惜しみない愛情と時間を費やして下さった倉田総監督をはじめ、コーチ陣の皆様、常に見守り続けてくれた父母のお陰で、サッカーを通じて少しずつ成長してくる子供の様子を見る事が出来ました。また、亮輔には沢山の大人たちに守られてサッカーが出来たことを忘れないでほしいとおもいます。お世話になりました。ありがとうございました。
 内輪の話ですみませんが、最後のさいごに、週末の家事をサポートしてくれたおばあちゃん、我慢にガマンをさせた麻奈実ちゃん、二人の協力なしでは親二人でサッカーに浸かることは出来なかったと思います。ありがとうございました。
 2007.02.11 鳥屋野ファイターズ 蒲沢 典子(6年生保護者 カンの母)

 

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鳥屋野ファイターズとの出会い

 まだアルビがJ2時代だった頃、無料券がもらえていた為、ルールがわからない私も、家族でよくサッカーを見に行っていました。
 3年生の頃だったか・・・子供がサッカーをやりたいと言い出し、えぇ~?!と 「だいたいサッカーわかるの?ただかっこつけたいだけなんじゃないの?」 な~んて思っていましたが、4年生になり、サッカーをやりたいと言う気持ちは変わらず、鳥屋野ファイターズに入部することになったのです。
 入部説明会で地域活動とは大変なんだ!(現に振興会の係ですが)・・・と思いながらも、でも雅史が頑張りたいと言うのであれば、私もできる限り頑張ってみよう!!(な~んて思ったのが間違いだったのかもしれません?)
 5年生になってからは忙しい日々が始まりました。
 毎週のように試合、大会など・・・今思えば、子供について行くのに必死だったと言う感じでしょうか・・・時には子供に頼っていたことさえあったと思います。
 この3年間、数々の試合、練習を通し、一番感動したのは、やはり最初で最後に優勝した小須戸カップでした。猛暑の中、ドキドキ、ヒヤヒヤした場面もありましたが、勝った後の子供達のキラキラと輝いた姿を忘れることはありません。
 子供がスランプで悩んでいた時期もありました。しかし様々な試練を乗り越え、ファイターズのみんなと歩むことによって、肉体的にも精神的にも大きく成長することができたのではないかと思います。これも、皆々様の支えがあったからこそ、ここまでこれたと感謝しております。ありがとうございました。
 これからも、鳥屋野ファイターズのさらなる発展を願っています。

 2007.02.08 鳥屋野ファイターズ 真部 敦恵(6年生保護者 雅史の母)

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「鳥屋野ファイターズという居場所」

 息子修平が小学校に入学した頃から、友人家族と頻繁にアルビの試合を観にいくようになりました。それが我が家のサッカー三昧の始まりです。
 その後修平は、4年生で待ちに待ったファイターズに晴れて入団。そこからが思わぬ新展開でした!今までPTAにも自治会にも腰をあげることが重かった父がクラブに積極的に関わりだし、なんと!子供達の指導やクラブ運営にまで協力することに・・・正直父の転身と熱意にびっくり(仰天!)しました。私としては卒団まで父子でやり通す事ができるか(特に父)とても不安でした。(この頃私はまだ傍観者でした。)
 ところが、修平が5年の春、成り行きで私(母)が事務局次長を引き受けることになりました。
 クラブ運営の実務は、はっきり言って多忙です。練習日程や対外試合の調整、大会に出るための諸手続き、クラブ員への文書作成、電話連絡、備品管理、サッカー協会やスポーツ振興会との連携など、本当にたくさんの実務があることを関わってみて初めて知りました。
 周りの皆様の協力体制を見ると、このクラブが多くの方々のボランティア精神で支えられていることに感動しました。最初は事務的に練習に顔を出していた私ですが、毎回足を運んでいるうちに練習風景を見に行くのが楽しみになり、こうして私もめでたくファイターズにどっぷり!我が家はアルビ族からファイターズ族へと進化!?していったのです。
 おかげ様で、この3年間でたくさんの出会いと出来事がありました。大勢の子供達や保護者の方々と触れ合えたこと。監督・コーチ陣と楽しくサッカー?の話ができたこと。試合だ、大会だと言って、色々な所へ出かけられたこと(クロアチアピッチは最高でした!)。子供同士取っ組み合いのけんかの仲裁に入ったり、我が子以外の子を怒ったり、褒めたり、慰めたり、すべてが貴重な家族共有の思い出となりました。ありがとうございました。
 そして修平について。この3年間で彼のサッカーへの興味は多面的に広がりました。サッカー雑誌やスポーツショップでもらうカタログは、彼をこの上なく癒してくれるようです。4、5年の頃は、ピッチ上で勝っていても負けていてもニコニコ、ベンチでは砂いじりなんて調子だったのに、最近時折見せる真剣なまなざしや力強いプレー、チームメイトと分かち合った勝利の喜びや、流した悔し涙は成長の証と思っています。また、ファイターズにお世話になってから、重度のアトピー性皮膚炎といわれていた修平の肌が見違えるほど自然にきれいになりました。人付き合いがあまり得意ではない彼に、たくさんの方々が声をかけてくださり、そんな暖かい居心地のいい場所だったから、心も体も丈夫になり今があるのだと思っています。
 彼を取り巻くファイターズすべての人々に感謝いたします。ありがとうございました。
 最後に、鳥屋野ファイターズが、この地域のサッカーを愛する人々の居場所として、これからも長く続いていくよう強く願っています。

 2007.02.03 鳥屋野ファイターズ 小山 美香(6年保護者 修平の母☆マネのマネ)

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